乃木坂46歌詞考察

乃木坂46の曲について歌詞、MVを考察します。

乃木坂46 20thシングル「シンクロニシティ」考察──────『君は一人だけど一人ぼっちじゃない』

ず、この曲について理解を深めるにはタイトルである“シンクロニシティ”について理解しなければなりません。

長いので簡単に理解したい方は☆の部分から読んでもらえれば大丈夫です。

(以下、Wikipediaシンクロニシティ』の項より抜粋)
何らかの一致する出来事(何か意味やイメージにおいて類似性を備えた出来事群)が、離れた場所で、ほぼ同時期に起きることがある。だが、複数の事象が、従来の「因果性」の説明方法ではうまく説明できない場合がある。そうした、同時期に離れた場所で起きる、一致する出来事を説明するためのある種の原理、作用として提示されたのがシンクロニシティである。
(中略)
人々の心(複数の人々の心)にあるファンタズム(夢・ヴィジョン)と主観は同時的に起きているのであって、ファンタズムが起きている時には互いの心に(ファンタズムが)同時的に起きていることに気づいていないが、後になって客観的な出来事が、多かれ少なかれ同時的に、離れた場所ですら起きたと判明することになり、それについて(客観的な出来事が)シンクロ的に起きたのだと確信的に考えることになるという


☆掻い摘んで説明します。

シンクロニシティ、とはカール・ユングという心理学者が提唱した理論です。
現代科学で説明しきれない”偶然の一致”が起きる要因、結果の事を指し示す言葉として創られたのが“シンクロニシティ”というです。

ユングはもう一つ関連する理論として“集合的無意識”という理論も創り出しました。

文字通り全ての人間に存在する先天的な共通意識であり、全ての人間はこの“集合的無意識”によって交流してるとユングは述べました。この交流によってシンクロニシティ“が発生するとも言われています。


これらの事項を簡単に抑えた上で歌詞の方を見ていきたいと思います。




曲の世界観として、大きく分けて長さの違う二つの部分に分かれていると考えられます。

まずは前半部分です


『悲しい出来事があると僕は一人で
夜の街をただひたすら歩くんだ
背中丸め俯いて行くあてなんかないのに
雑踏のその中を彷徨う
Keep going…
Keep going…
すれ違う見ず知らずの人よ
事情は知らなくてもいいんだ
少しだけこの痛みを感じてくれないか
信号を待つ間にちょっとだけ時間をいいかい?
この気持ちが分かるはずだ

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白石麻衣さんのみ周りを見渡すような振り付け

失意の中、見ず知らずの道行く人に縋りたくなるような夜。
誰でもいい、「私を助けて欲しい」
何も知らなくてもいい、理解されなくてもいい、少しだけこの痛みを和らげてくれないか。そんな叫びを心の中に持ったまま声をあげる事の出来ない一人の人。

そんな人をこの曲のセンターである白石麻衣さんが演じ、“すれ違う見ず知らずの人”を他のメンバーが演じています
この構図は最初から最後まで変わることはありません。

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また、一番サビでのメンバーは注目して貰えば分かる通り無表情を貫く人、笑みを浮かべる人など多種多様な表情をしています。


次に注目するべきポイントは二番冒頭

『みんなが信じてないこの世の中も
思ってるより愛に溢れてるよ
近づいて「どうしたの?」と聞いて来ないけど
世界中の人が誰かのことを思い浮かべ
遠くの幸せ願うシンクロニシティ

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『誰かの事を思い浮かべ』にて映る生駒里奈さんによる抱擁するような振り付け。
ここでの生駒里奈さんは前述の構図では『集団の中の誰か一人』です。
そんな“誰か”が目に見えない誰かの事を思う、それは慈しむような愛を与える。一番での歌詞の主人公(=白石麻衣さん)が求めていた事です。

少しメタ的な意味合いが強まってしまうのですが、生駒里奈さんはこの20thシングルを経ての卒業を発表しています。
実際に乃木坂46を離れる生駒里奈さんを、本当に“雑踏の一人”になってしまうメンバーにこの“誰か一人”を現す役柄を割り当てたこと。そこからもこのMVの意図を読み解くことが出来ます。

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さらに二番を終えてMVの終盤、センターである白石麻衣さんは一人になります

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自らに背を向けた人々の間を通り抜ける白石麻衣さん。

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次に注目すべきは白石麻衣さんが自らを抱きしめるかのような仕草をした後全員が内側に集まるような振り付け。

この状態を私は主人公の内的なものの解放の後、前述の“集合的無意識”を現していると考えます。

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その集合意識から花開くようなフォーメーションに。全員バラバラの振り付けが始まりますがここで表情に注目してもらうと次第に笑顔が伝播していくのが分かりいます。

この場面を通じ、全員の表情は笑顔になります。一番の時点で僅かなメンバーに浮かんでいた笑顔、つまるところ喜びや希望の感情がタイトルになぞらえて言うならば集合的無意識からシンクロしていったのでしょう。

曲はラストへと向かいます。

『きっと誰だって誰だってあるだろう
ふいに気づいたら泣いてること
理由なんて何も思い当たらずに涙がこぼれる
それはそばにいるそばにいる誰かのせい
言葉を交わしていなくても
心が勝手に共鳴するんだ
愛を分け合ってハモれ』

当曲で二度繰り返されるサビ、この歌詞に“シンクロニシティ”───この曲の本質が詰まっています。


“君は一人だが一人ぼっちでは無い“


当記事に付けたタイトルがこのサビを、更に言うならばこの曲を一文で表現するにあたって私が考えうる言葉になります。


一人ぼっちとは、仲間や頼る人がおらずただ一人であること。そう定義されています。
貴方は一人でも、きっと誰かと繋がってる。目に見えた繋がりが無くとも、心繋がる人がきっと存在する。

実のところ、この歌にて歌われている"シンクロニシティ"が本当に存在する現象なのかは確定的な結論は出ていません。歌詞の通り『胸の痛みが76億分の1になった“気がする“』だけなのです。

それでも、どこかの誰かがこの痛みをきっと分かってくれる。少しだけこの憂鬱を分け合い、受け止めてくれる。
そう思えるだけでほんのちょっぴり、心が強くなれる。

そんなメッセージを私はこの曲から感じ取りました。


この記事が楽曲の理解への一助になれば幸いです。ご精読ありがとうございました。